「目には目を、歯には歯を」で知られる「ハンムラビ法典」。それを編纂したのが、古バビロニア王国(バビロン第一王朝)の王・ハンムラビだ。

「川の間の地域」の興亡
ハンムラビ王が君臨した地域は、ティグリス川とユーフラテス川の2本の大河が流れ、「川の間の地域」を意味する「メソポタミア」と呼ばれます。年間降水量が極端に少ないこの地域では雨水に頼る農耕は不可能で、河川から水を引く灌漑施設が必要でした。灌漑を主導する強力な指導者が現れ、各地に中央集権的な都市国家を築きました。
前1890年ごろにはメソポタミア南部のバビロンを首都とする古バビロニア王国(バビロン第一王朝)は興りますが、周辺国家と比べて弱小国でした。
数々の公共事業とメソポタミア統一
ハンムラビ王が即位したころ、古バビロニア王国はラルサやエシュヌンナ、マリなどの都市国家に囲まれ、メソポタミア北部を支配していたアッシリアの宗主権下にありました。ところが、ハンムラビ王の治世の18年ごろにアッシリア王が死ぬと、その政治的影響から解放されたハンムラビ王は約10年にわたって、神殿や周壁の建設・修復、灌漑施設や運河の整備など、内政に専念しました。
特に農業生産力や輸送力向上などにつながる運河や灌漑施設の維持管理は民の生活を預る王の責務と考えており、ペルシャ湾に至る大運河網を整備します。
治世29年ごろ、周辺国のエラムがエシュヌンナを攻撃します。次いで古バビロニア王国を標的にしたことをきっかけに、ハンムラビ王は外征に乗り出します。
国内に総動員令を発し、通常は徴兵しない商人も軍に組み入れ、エラム、エシュヌンナ、ラルサなどを支配しました。治世末期にはメソポタミアのほぼ全域を支配下に置きました。

「目には目を、歯には歯を」の真意とは
ハンムラビ法典は、メソポタミア統一後に編纂されました。結婚から農業、遺産相続、刑罰まで民の生活に関わる282条の条文が刻まれています。
「目には目を、歯には歯を」というフレーズは、ハンムラビ法典の特徴である同害復讐法の原則を表しており、「他人の目をつぶした者はその目をつぶされる」など、加害者が被害者に与えた危害と同程度の罰を受けることを意味します。
当時は何者かに危害を加えられた場合は、その報復が当事者を超えて家族・部族間の問題にまで発展することがありました。ハンムラビ王の狙いは、このような復讐合戦をやめさせ、トラブルを当事者間にとどめるというものでした。
ただ、同害といっても、当事者の身分によって刑罰に差がありました。ハンムラビ王の時代の社会は、自由人と奴隷からなり、自由人は上層自由人と下層(一般)自由人に分けられます。「下層自由人の歯を打ち落とした場合には、銀1ミナを支払え」「もし他人の奴隷の目つぶし、あるいはその骨を折ったならば、銀2分の1ミナを支払え」など、被害者の身分が低くなるほど罪が軽く扱われました。

正義を行い弱者を守る
ハンムラビ王はなぜ法典を編纂したのでしょうか。法典の前文に「国土に正義を顕すため」と意図が記載されています。「正義」とは、社会的に強い立場にあるものが寡婦や女児など社会的弱者を虐げることのないよう保護することです。弱者を守るために、人々の幸せのために、規律や分別ある行動を国民に課したということです。
ハンムラビ王はのの国民に規律や分別を一方的に求めただけでなく、自身も正義を実践しました。支配下の住民やとりわけ農民・牧民、かご職人など、比較的弱い立場にある者の苦情を聞き、問題解決のために部下に命令を下しています。
また法典には、正義の顕現を神々に任されたという記述も見られます。法典碑に並んで彫られた図は、ハンムラビ王がメソポタミアの太陽神シャマシュから、王権の象徴である棒と縄を与えられている様子です。棒と網を神殿や耕地などの測量に用いられた道具を意味しており、建設者である王の象徴でした。
メソポタミアでは古くから、王権は人々の利益のために神々からもたらされたという考えから法典碑からは神々に託された使命を果たそうとする王の姿もまた見えてきます。

国が滅んでも受け継がれた法典
法典碑では王の責務として国家の防衛、作物の収穫の確保も挙げられています。国を守るための戦争や、大規模な灌漑工事、神殿の整備などもまた、王の責務として遂行しました。
古バビロニア王国はハンムラビ王の死後、内外や外敵などにより衰退します。そして11代王のとき、現在のトルコに興ったヒッタイト王国の攻撃を受けて減亡しました。
しかし、国が滅んでも、ハンムラビ法典は長い間生き続けました。1000年以上にわたって書き写され、多くの写本が残っていることから、法典は権威あるものとして各時代で受け入れられたようです。法学者の研究書としても活用され、後世の法典編纂にも影響を与えました。
王の責務を全うしようとするハンムラビ王の思いは、国の領土を広げ、人々の生活を豊かにし、社会に公正さを取り戻しました。王国の減亡し、時代を経ても、ハンムラビ王の思いは、国や時代を越えて受け継がれていったのです。

コメント